パリ老舗ホテル案内
世界の王族に愛された
パリ最高級のパラス
ル・ムーリス / パリ

世界の老舗ホテル探訪 ストーリー06

ル・ムーリス / Le Meurice(パリ / フランス)

世界の王族に愛されたパリ最高級のパラス

パリ中央郵便局
19世紀頃のパリ中央郵便局
パリといえばル・ムーリスだった19世紀
もしあなたが19世紀に生まれていたら?そして初めて旅行でパリを訪れたとしたら。そこはおそらく郵便馬車が騒がしい音を立てて行き交いするパリ中央郵便局の広場だろう。その広場は馬車の発着所であり、多くのパリ観光客が最初に訪れる場所だった。
馬車を降りたあなたはその喧騒に飲み込まれそうになりながら、近くにいたポーターにトランクを預ける。背中にくくりつけた背負子に軽々とトランクを載せた屈強なポーターは「ル・ムーリスでいいかい?」とあなたに聞くだろう。19世紀当時、旅行者が快適に過ごせるホテルはル・ムーリスをおいて他になかった。郵便馬車でパリにやってくる観光客のほとんどは、ある程度のお金を持っていたし、迷うことなくル・ムーリスを宿に選んだそうだ。ポーターのあとについてたどり着いたのはリヴォリ通り。果てしなく続く柱廊のようなホテルのファサードは宮殿のように美しい。チュイルリー庭園に沿って続く通りの先にはまだ建物の少なかったシャンゼリゼ大通りが郊外に向かって伸びている。その先にかすかに見える凱旋門は当時まだパリ市の外だった。左に目を向ければ左翼がまだできていなかった頃のルーヴル美術館が立っている。
チェックインしてようやく旅の疲れもとれた。部屋から窓の外を見れば、今はなきチュイルリー宮殿が美しい庭園の中に立っている。この風景を見ただけでもル・ムーリスに宿泊した価値があるというものだ。

パリ中央郵便局
チュイルリー庭園とリヴォリ通り
宮殿が失われムーリスが生まれた
ル・ムーリスは現在も19世紀と同じ場所で世界中からの旅行客を迎えている。ただ違うのは目の前にあったチュイルリー宮殿がないことだけだ。宮殿は1871年に焼失し、ホテルの前には緑豊かな庭園だけがどこまでも広がっている。そしてその先には19世紀中ごろまではなかったエッフェル塔がパリのシンボルとして曇り空の中にそびえている。
ホテル ル・ムーリスはチュイルリー庭園の前に立つ老舗の最高級ホテル。まるで宮殿のあとを継ぐかのように庭園の風景に見事に溶け込んでいる。世界中の王族、特権階級の貴族、著名な芸術家や作家。あらゆるセレブリティーに愛され続けているこのパラス(宮殿)の歴史は、パリではなくフランス北部の港町カレーから始まった。


パリ中央郵便局
ル・ムーリスの外観
カレーからパリへ / 18世紀後半〜19世紀前半
ホテルの歴史は1771年、カレーにて始まった。当時、カレーはドーバー海峡を渡ってパリへと向かうイギリスの上流階級の人々の経由地となっていた。そこでは野心家の郵便局長シャルル・オーギュスタン・ムーリスが彼らを迎え入れ、旅籠(Coaching Inn:馬車で移動する旅行者のための宿)に宿泊させた上で、パリへの郵便馬車での送迎の手配を行っていた。
その頃カレーからパリまでたどり着くには36時間程かかっており、ムーリスは1817年に疲れきった旅行者を迎え入れる為の旅籠をパリにオープンした。その後、ホテル・ムーリスは1835年にパリで最もファッショナブルな場所の一つである歴史的なチュイルリー庭園を臨む現在の地へと移転した。
その後長年にわたって、ル・ムーリスは夜の8時から朝の8時まで続くディナーのように贅沢なエンターテインメントのために評判を博してきた。ある宿泊客によると、ヤマウズラや白鳥のような非常に珍しい鳥のゆで卵だけが供された昼食会が開かれた事もあるという。

コラム(1)ムーリスと叫びなさい
全てのスタッフが英語を話すことができるル・ムーリスには、多くのイギリスからの旅行者が滞在しており、そのため19世紀には”City of London”というあだ名が付けられた。イギリス人作家W. M.サッカレーはかつて「フランス語を話せず、イギリスの快適さ、清潔な部屋、給仕長を求めるなら、外国にいて、同郷の士、馴染みのブラウン・ビール、馴染みの友人、馴染みのコニャック、そして馴染みの水を求めるなら、どの使者の言葉も聞かず、最も良いイギリスアクセントで心から『ムーリス!』と叫びなさい。そうすれば、すぐに誰かがリヴォリ通りへと車で連れて行ってくれるだろう」 と言っています。


パリ中央郵便局
ル・ムーリスの客室
大規模な改修 / 19世紀後半〜20世紀前半
ル・ムーリスの名声は19世紀の間に高まっていった。1855年のある新聞の記事によると、イギリスのビクトリア女王がル・ムーリスに宿泊している。ロシアの作曲家・チャイコフスキーもホテル近隣でコンサートを開いた際に宿泊している。
19世紀の終り頃にはホテルの常連客は上流階級の人々で占められていた。1898年にはホテルを所有し管理する有限責任会社「ホテル・ムーリス」が設立。会社代表のアーサー・ミロンと取締役のシュウェンターは、1905年に大幅な改装を行い、贅沢な設備を提供し、特権階級の人々からの期待に応えた。
更なる2年間の改装と拡張により、ホテルは現在の外観となり、各部屋にはプライベート・バスルームが備え付けられた。改装にかかった費用は800万フラン。その当時としては相当な額だったが、特権階級の顧客の興味を引く事に成功した。
パリ中央郵便局
ル・ムーリスのエンブレム
スペインの国王アルフォンソ13世は、1905年から1907年の改装終了後に部屋を予約をした最初の人々のうちの一人だった。彼はスイートの106-108号室を常宿としており、自身の家具も運び入れていた。

モンテネグロの国王、プリンス・オブ・ウェールズ、イギリス国王のジョージ6世、フランスの大統領ドゥメルグ、ザンジバールのスルタン、ジャイプールのマハラジャ、ロシアの大公妃等が常連となっていた為、ル・ムーリスは「王族達のホテル」と呼ばれるようになった。
その一方で第一次世界大戦中、ホテルは数ヶ月の間閉鎖され、傷ついた兵士の為の病院として使用された。時代によって様々な役割を担うのもパリを代表するホテル ル・ムーリスの特徴であった。


改装中に面白い出来事があった。工事現場のスタッフが一匹の迷子のグレイハウンドを見つけ、ホテルに招き入れた。グレイハウンドはスタッフの内の一人に引き取られ、ホテルのマスコットとなった。2匹目のグレイハウンドが一匹目の伴侶として迎え入れられた。これが現在も使われているホテルのエンブレムの由来である。

コラム(2)ムーリスと芸術家「ダリの秘話」
モーリス・ド・ブラマンクやマリー・ローランサン、ジョルジュ・ブラックなどの20世紀フランスで活躍した画家たちの多くがル・ムーリスの顧客リストに入っていた。その中でも最もインパクトの強い顧客の一人がシュールレアリスムの画家サルバドール・ダリだった。彼は一年に少なくとも1ヶ月はホテル・ル・ムーリスに滞在していた。彼の行動も超現実的だった。ダリはアルフォンソ13世の使用したスイートルームをアトリエに変貌させた。ある日、彼は羊の群れを自分の部屋に連れてくるように要求した。群れが部屋に到着すると、ダリはピストルを取り出し、群れに向かって撃った。幸運にも銃に装てんされていたのは空の薬きょうだった。あるときは、馬を要求した。またあるときは、彼はホテルのスタッフにチュイルリー庭園でハエを捕まえてくるように依頼し、ハエ一匹につき5フラン(約1ユーロ)を支払った。ダリはホテル・ル・ムーリスの常連だった。彼は何人かのホテルスタッフと非常に仲が良くなり、クリスマスのチップとしてサイン入りのリトグラフをプレゼントした。


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ル・ムーリスの客室
世界的な名声 / 1920年代〜第二次世界大戦
世界中の作家や芸術家たちがパリに集まった狂乱の1920年代初頭には、ル・ムーリスの評判は世界的に広まった。マスコミはホテルの精巧なルイ16世様式の装飾に感銘を受けた。取締役のシュウェンター氏はフランスでの観光旅行を増やすために海外各国で宣伝をした。彼は1923年にシュヴァリエ・ドゥ・ラ・レジオン・ドヌール(レジオンドヌール勲章5等)を、1931年にはオフィシエ・ドゥ・ラ・レジオン・ドヌール(レジオンドヌール勲章4等)を授与されている。ピカソとその妻オルガ・コクロヴァは彼らの結婚披露晩餐会の会場としてホテル・ル・ムーリスを選んだ。1925年には、ベルギーのアルベール国王も何の躊躇いもなく、ホテル・ル・ムーリスを宿泊先として選択した。1920年代のスタイリッシュな広告には、上流階級の顧客達がパリの魅惑的な夜景を望むムーリスのルーフガーデンで夕食を食べたり踊ったりしている様子が描かれている。

また当時のムーリスは多くの権力者たちの隠れ家ともなった。多数の統治者達が、権力の座から去ったり、強制的におろされたりした後にホテル・ル・ムーリスに安息を求めた。1931年、アルフォンソ13世が退位した後、彼は王族全員を伴い、トレド公の名前でル・ムーリスへと避難した。ウィンザー公及び公爵夫人もまたル・ムーリスへと避難してきた。モンテネグロ国王は、国を追われた後でル・ムーリスへとチェックインしたし、イランのシャー(王)は実際にホテル・ル・ムーリスに滞在中に王座から降ろされたのである。

コラム(3)ムーリスと作家
1970年代、フローレンス・ジェイ・グールド(鉄道界の有力者であり投資家ジェイ・グールドの妻)はホテル・ル・ムーリスに住んでおり、そこで文芸昼食会を開いていた。彼女は2つの文学賞を設立し、ホテルの文士仲間を引き付ける場所としての評判を確立させた。その頃、昼食会に集まった人々の中にはアンドレ・ジッド、フランソワ・モーリアック、若き日のロジェ・ニミエも含まれていた。ホテルは現在も一流の作家達との交流を続けている。


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ル・ムーリスの客室

最新の改修 / 2000年代

ル・ムーリスの長い歴史の中で、4度の大幅な改装が行われた。1回目は1905年から1907年、2回目は1947年から、3回目は1998年からで、最後はフィリップ・スタルクによって行われた2007年である。改装が行われるたびに、ムーリスは近代化し、その時代の最先端の装飾を取り入れていった。

2007年から始まった最新の改装は、2年の延長を経て完了し、ル・ムーリスは古典的なフランス風宮殿(French Palace)、そして今まで以上に上流階級のパリの住居としての本来の輝きを取り戻した。リニューアルはフランスの有名なデザイナー、フィリップ・スタルクによるもので、パブリック・エリアを改装しホテル・ル・ムーリスの装飾は全く新しいものになった。
2008年の12月には、フランカ・ホルトマンがオペラ・ガルニエのロビー(Grand Foyer)での華麗なドレープやカーテンの装飾で知られるシャルル・ジュフルにル・ムーリスの客室を新しく温かみのあるものにして欲しいと依頼。目の利き国際的な依頼人の要望に気を配りながら、彼は変化を求めるパラスホテルの特異性に新しい息を吹き込んだ。ホテルの客室は18世紀のエレガントな家庭的雰囲気を保ちながらも、過去と現在が共存する世界を作り上げている。


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ル・ムーリスのレストラン
ムーリスでしか体験できない2つの極上レストラン
ル・ムーリスには素晴らしい2つのレストランがある。一つはアフタヌーンティーが楽しめるレストラン ル・ダリ。人気デザイナーフィリップ・スタルクの娘である画家アラ・スタルクが描いた巨大な絵画の下で、ムーリスならではの有能なスタッフがうっとりするようなアフタヌーンティーを提供している。画家サルバドール・ダリが30年間も常連だったこともあり、レストランの随所にはダリの作品を彷彿とさせる装飾品や家具が置かれ、ダリの精神が室内のあちこちに宿っている。
テーブルに並ぶのはシェフが超現実主義的で色彩豊かに仕上げたフルーツとパリ風パティスリーの数々。シェフ・パティシエであるセドリック・グロレは2015年のフランス最優秀パティシエ賞を受賞しており、才能豊かなこのシェフの作品が味わえるのはル ムーリスだけ。

もう一つはヴェルサイユ宮殿の「平和の間」を再現したレストラン ル・ムーリス アラン・デュカス。パリの重要文化財に指定されており、ミシュランの3つ星レストランとしても有名。2013年9月から今の名前に改称され、3つ星レストランを複数経営する名シェフ アラン・デュカスの指揮のもと、伝統と最新の料理を提供している。

パリ中央郵便局
ル・ムーリスのテラス
現在
今もル・ムーリスは19世紀と同じ場所で世界各国からの旅行客を迎えている。過去30年の間にホテルの所有者は何度か変わったが、現在はDorchester Collection(ブルネイの投資会社が所有)の一員となっている。また最近では160の客室とスイートに、iHome IH(iPod ラジオ アラーム)を設置した。現代では、本物の「パラス」には快適さと豪華さだけでなく、最新デザインと科学技術の導入が要求されるのだろう。
豪華さと優雅さと伝統が入り混じるホテルとして、ル・ムーリスはiHome IHを18世紀スタイルの家具に設置する事で、古典的なものと現代を完璧に融合し、申し分のないサービスを提供している。 快適さ、豪華さ、最新技術。あらゆるもの誠実にを追いかけているからこそ、ル・ムーリスは数世紀にわたって続く一流の老舗ホテルになれた。それは19世紀から現在まで変わらないル・ムーリスの精神なのだろう。
パリの老舗ホテル:ル・ムーリス
パリ老舗ホテル
ル・ムーリス
★★★★★
チュイルリー公園前に建つ老舗の高級ホテル。最高級の証「パラス」としても認定され、ルーヴル美術館、シャンゼリゼ、オペラ座、セーヌ左岸へも徒歩圏内。お部屋はイタリアやフランス製の家具でラグジュアリーな風合いで統一されています。
ル・ムーリス 基本情報

オープン:1835年
部屋数:160室
アクセス:メトロ チュイルリー駅からすぐ
住所:228 RUE DE RIVOLI, F-75001 PARIS
各ホテルの情報に関しまして
本ページに記載されているホテルの情報は2015年6月時点での情報です。内容・料金は変更される可能性もありますので、最新情報は各ホテルにお問い合わせください。
最終更新日:2015年7月